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條ウル神古墳

写真1写真2

概要

大正5年(1916)刊行の「奈良縣史蹟勝地調査會第3回報告書」に、当時の奈良縣枝手、西崎辰之助によって「條ノ古墳」として報告された本墳は、従来必ずしも正当に評価されてきたとはいえませんでした。
 それは、墳長・石室・石棺の規模のいずれもが、にわかには信じがたいほど大きなものであること、また、家形石棺の蓋側面の縄掛突起が通常二つずつであるのに対し、略報では三つずつ計八つとされており、他にほとんど例が見られないことなど、資料としての信用性を疑問視する人が多かったからです。その後、古墳と周辺地形が著しく改変される中で、古墳の所在そのものも判然としなっていましたので、平成13年度に石室の所在と現状を確認するための調査を実施したところ、西崎報告の通りの巨大な石室と石棺が存在することが判明しました。
 條ウル神古墳の石室・石棺はその形式から六世紀後葉の築造とみられます。石室内には、かつて水がたまっていたことを示す成水層がまだ厚く推積しているために、正確な数値はわかりませんが、石室・石棺とも最大もしくは最大級と呼ぶに相応しく、例えば比肩する規模の見瀬丸山古墳は欽明天皇、石舞台古墳は蘇我馬子の墓とする説が有力です。條ウル神古墳の場合には巨勢(許勢)氏の盟主をあてるのが妥当で、許勢臣稲持や比良夫らが数人が候補となるものと思われます。 ※ 当古墳は、現在埋め戻されています。

〜條ウル神古墳立て看板より〜


歳時記




情報
住所 御所市條
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