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條大池古墳

写真1NO IMAGE

概要

巨勢山古墳群
条池北古墳、    条池南古墳
(巨勢山641号墳) (巨勢山640号墳)
御所市條字スル加谷

 巨勢山山塊には800基の古墳が分布していて我が国でも最大級の郡集墳を形成しています。巨勢山古墳群は、東西約3km、南北2.5kmの範囲におよんでおり、分布状況からいくつもの”支群”に分けらけ、墳丘の形状、大きさ、埋葬主体部等が支群によってそれぞれ差があるという特徴が注意されます。時期的五世紀〜七世紀にかけて築造されています。
”条池支群”は、北より”條庚申塚古墳”、”条池北古墳”、”条池南古墳”の三古墳によって単位群が構成され、横穴式石室を埋葬施設としています。
荒廃のひどかった条池北古墳、南古墳の発掘調査を、昭和59年冬、奈良県立橿原考古学研究所の協力をえて、御所市教育委員会が行ないました。
尾根、墳丘の変化も著しく、横穴式石室は破壊され、大半の石材が抜き取られ、大きな窪地となっていました。
条池北古墳は基底石の据え付け穴から玄室長4.80m、同幅2.44m、羨道長3.30m同幅1.80mの平面形を持つ右片袖式の横穴式石室が存在していたと考えられ、西(池側)に開口しています。
盗掘は激しいが、奥壁部分に石敷があり、棺床が設けらていたと考えられます。さらに閉塞石が玄関付近で採石をまぬがれて遺存していました。
遺物は、碧玉製管玉、須恵器(蓋杯、高杯、器台、長頸壺)の破片と馬具(鏡板、兵庫鎖、辻金具)、銀装の刀、鉄鏃、円筒埴輪断片等が出土しました。
更に江戸時代の羽釜を含む焼土面があり、江戸時代には石室が遺存しており、再利用されていたと思われます。
条池南古墳も西向きの横穴式石室を主体とし、堀割によって区間された約16m程度の円墳です。石材据え付け穴より、玄室長6m、同幅1.8mの石室で、左に袖を設け、短い羨道が取り付いていたと考えられます。
石室の掘方は地山をほりくぼめ、深さ2〜2.5m程、粘土と巨勢土とを互層積みにした強固な裏ごめで石室を構造していました。
当初は天井石上には高さ1.5m以上の土盛りがあったと見られます。
玄室内全面には刳り貫き式の長さ2.34m、幅1.24m、身の高さ0.72m、蓋までの高さ約1.2mの家形石棺を安置し、蓋には四角い縄掛け突起が左右各2個、計4個とり付いています。
石棺は、二上山の白色凝灰岩を刳り抜いて、やや胴張り気味に丸みを帯びて作られています。家形石棺には珍しい造り付けの枕(直径約20cm)が彫られています。足元には排水穴が設けられ、石棺内部には全面に朱が塗られていまた。
石室内袖部分から須恵器(蓋杯、高杯、器台、壺)と馬具(子持剣菱形杏葉、棘葉杏葉辻金具、鋲金具、磯金具)、鉄鏃、鉄刀、及びコハク製棗玉、ガラス製小玉等が主土しました。
古墳の築造時期は、北古墳は六世紀後半に、南古墳は六世紀中葉〜後半と考えれます。
条地支群の古墳は、特異な石棺や優秀な馬具を持っているという事実等から、古墳群中でも葛城氏を支えた有力層の墳墓にふさわしい古墳と言うことができるでしょう。

  昭和61年3月  御所市教育委員会

〜條大池古墳立て看板より〜


歳時記




情報
住所 御所市條
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