江戸時代には、幕府の最も重要な法令を木の板(高札)に書いて掲げることが義務付けられていました。
村や町には、必ず一ヵ所設けられており、御所まちの高札場は、北の木戸の内側にあったと伝えられています。
現在の高札場は、平成20年に国の「日本風景街道」事業の一環として、ほぼ同所に復元されました。 |
西御所は環濠集落として、東御所は寺内町として、共に16世紀中頃又はそれ以前に成立したと考えられます。
関が原の合戦後、当地を支配した桑山元晴が、環濠内の道路・背割り下水等の整備を行い、寛保2年の検地絵図にある町並みができたと考えられます。
背割り下水と環濠は、ほとんど検地絵図のとおりに現存しており、平成20年度に国の「循環のみち下水道賞」を受賞しました。 |